年内まだあるのか謎

今後の#juveliapopup

10/9〜14

11:00〜19:00
(初日は13時オープン、最終日は16時クローズです!)
私は基本的にずっと店頭にいます!🐈

大阪心斎橋 オーガニックビル1階


10/21〜11/27

有楽町マルイ6階

現在の状況

【お休み】

・左下チャットはお修理のみの受付になっています。確認できる時間、環境がどうしても限られてしまい…申し訳ありません。


・レビューポイント付与対象外(2023.7.27〜8.20と2023.8.26〜現在も継続中です)

これらは再開時ご案内いたしますね。

期間中はお修理以外でご連絡いただいてもお返事が出来ませんので申し訳ありませんがよろしくお願いします。

Journal

心斎橋ポップアップ!

大阪心斎橋の路面店! 私は基本的に店頭にいます!(途中抜けたりあるかもですがいつもほぼいる主) 心斎橋駅から徒歩5分。 新幹線でいらっしゃる方は新大阪駅より地下鉄御堂筋線で1本で心斎橋に到着します。(地下鉄で新大阪から約13分! なんばや堀江なども歩いていけますよ!) 住所 ...

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おばあちゃんになったら読み返す

皆さんの個性を浴びるレビュー

自分で言うのも何なんですがうちのお客様のレビューは本当にすごい。

短編小説か?ってくらい熱量があるし

お写真をお仕事にされてるわけではないんですか?って疑問に思うほどと撮り方が巧すぎる。

私自身レビューを書くことがそこまでないからこそこ集まったレビューに驚いています。

本当にありがとうございます。

届いてからのお客様が貴重なお時間を割いて書いてくださった文章。わざわざ撮影してくださったそれぞれの組み合わせ。

それは私が作ることはできないですし昨日今日で集まるものではないのでお客様に恵まれていることを感謝しています。

作り手の私でも店員でもない、この先の未来のお客様にも寄り添ってくれる本当にありがたい存在です。

見に行ってみる

Juveliaが生まれるまで

お手伝いしてくれる人が増えました

発送作業や商品のアップ作業を手伝ってくれる方が増えました。ずっと自分一人で(何度か人間辞める忙しさで)やってきたので本当にありがたいです。)

今年の目標の海外用のショップも作ってます。英語ちゃんとやっておけばよかった。身一つにされたら何も分からん。

毎日新しいことを思いつきます。これをしたらもっと喜ばれるんじゃないか。こうシステムを変えればお客様のストレスが減るんじゃないか。

手と時間が足りないのは皆同じなので頭に汗をかいてどんどん形にしていきます。

全世界激動の一年

コロナがやってきた

娘が近くの保育園に入園できたと思った4月の2週目から1ヶ月以上休園になったのでショップもクローズ。

ネイルサロンも休業しました。

ずっと自宅で仕事をしていたけど、急に思い立って作業場を借りる契約をしました。コロナで休業中に決めたことは本当に大勝負だったと思います。(思い立って1週間で物件見て契約してきた行動の速さに毎度家族は驚く)

今まで自宅のベランダの室外機の上に商品置いて撮影してたけどようやく思いっきり撮影ができる!

東京で予定してたポップアップもコロナで中止。

そんな中でデコレーションしたボックスを作ったのもJuveliaにとって大きな出来事でした。

このボックスは松屋銀座にお正月に並び、コロナで行けなかった私に沢山の方が行列の様子を送って下さいました。年末は記憶がないくらいだったのでようやく年を越した気分で泣きました。

仕事本格復帰

初めてのポップアップイベント

横浜のポップアップ決定通知と娘の保育園全て落ちた通知が同じ日に来た2月。

何か手立てはないのかと市役所に通い色んな方法を考え娘は初めて保育園に通うことになりました。(家族以外のお友達の名前を聞いた時感動したな…)

誰も来ないかもしれないと不安になったポップアップ初日、新幹線の中で謎に肌が荒れ声が出なくなりました笑。

ポップアップに来てくださったお客様と筆談がメインになってしまう位声が出なかったけど、いつも購入通知が来たときに見ていたお名前の方に本当に会えた感動は私はおばあちゃんになっても忘れないと思う。

ちなみに声はその後4ヶ月普通には出なくて、病院にも行ったけどいまだに原因不明です。なんだったんだ。

仕事どころか人間ログアウト

突然のつわり

そろそろ子供を、なんて思っていたけどいつ授かるかコントロールできることじゃない。そのつわりがどれくらいなのかも人による。

アクセサリーの仕事が忙しくなり、東京で大きな発注をした翌日ホテルで吐くと同時につわりが始まりました。

1日ゼリー2口しか食べれないのに吐いてしまう。

はい、いいえの返答もできない。

いつ仕事ができるようになるのか、このまま仕事できなくなるんだろうか…。それも考えることを許されないくらい東京からの新幹線でずっと吐いていました。

ネイルサロンもアクセサリーもお休みしたのは人生で初めてでした。

まさか急にこんな展開になるとは

独立

勤めていたネイルサロンを急に辞める事になり、しばらく仕事を休んで考えようかと思ってたんですが、大事なお客様に結婚式のネイルをして欲しいと言われ2週間でネイルサロンを作りました。

3週間で8キロ痩せてしまって自分にもちゃんと鎖骨あるんだと知りました(通常時は埋もれてる)

当時はがむしゃら今日まで突っ走ってきたけれど、24歳だったのか…。

あれからもう10年経ったのか。

24歳の私にご飯奢ってあげたい。

こだわりすぎてクリエイティブ爆発

結婚

「結婚するまで夜中もずっとネイルして働いてたけど、隣の市に引っ越したら今みたいな働き方できなくなるな。自宅でももっと働きたいな」

「スワロフスキーが好きでネイリストになったけど1ヶ月後に外したりジェルコートで輝きがなくなるの悲しいな」

「結婚式に来てくれる友人をイメージしたものを何か作って席札に飾りたいな」

「妊娠出産になって続けられる仕事をもう一つ作りたいな」

漠然とずっと考えていたことがアクセサリーを作るということで全て繋がる!と気づいて次の日には材料を買いに行きました。

誰にも習ったことはないけど、作り方は分からないけど作りたいアイデアは泉のように湧いて寝ずに没頭していました。

未知の幕開け

出産

夫と親に万が一の為の遺書を渡して臨んだ出産。

確実に人生のキャパオーバーの痛みに苦しんだ陣痛の末に緊急帝王切開に。

娘は昼寝しないので夜中0〜3時が仕事タイム。1時間おきに夜泣きするので寝かしつけつつ布団を出て仕事をするのが3歳くらい続いてハードでした。

子供を産んでもできる仕事を、なんて言ってても子供の特性もあるし家族のバランスもあるし産んでみないとわからんなこりゃ。

娘が寝てる間に起こさず仕事ができるかもと当時奮発してipad proを買いました。

ネイリストデビュー

念願のネイリストになったもの毎日ボコボコに怒られてました。この頃からお客様といまだに交流が沢山あるのは本当にお客様に恵まれています。

今思えば当時からネイルの写真を撮影してプレゼントしたり、ネイルオフの間に読めるニュースレターを書いたり今に通ずるところがたくさんあるな。

初めて一人暮らしをして極貧時代でもありました。

5000円のネイルの筆を買うために99円の卵も買えなかった。

サロンには内緒で休日や夜中は新しい技術を取得しようと他県のスクールに通い始めます。朝4時まで居残り練習したりカプセルホテル泊まって始発の電車で帰って2時間仮眠して10時から22時まで働いて連勤とか完全に若さの為せるものだと思います。今やったら死にます。

1日何時間電車乗るねんの日々

美容専門学生

「国家資格である美容師免許を取るならネイリストになってもいい」と父親から許可が出て専門学生に。

髪の毛のことは全く興味がないけど、この資格を取ればネイリストになれるならお安い御用だ!と往復3時間かけて通ってました。並行して土日もネイルスクールに通ってたのでほぼ週7で新快速の中で大きい荷物抱えて爆睡。誰が次の駅で降りるのか見分けるスキルがつきました。

とはいえ髪の毛に全く興味がないので文系が理系に来てしまったようで授業が楽しいとは思えず。

一応美容師免許持ってますが自分で染めたことはありません。

まだガラケーの時代でしたが電車の中で携帯電話を使って商売もしてたの思い出しました。いつもたくましい私。

宇多田ヒカル、浜崎あゆみを毎日聞いてた時代だよな

中2でネイリストになると決めた日

まだまだネイルといえば高級なもので地元にはネイルサロンもなかったですが、ネイリストになりたい私と

「爪を塗ってなんでご飯食べれるんだ!」という父の戦いが5年続きました。

この頃から親に内緒でこっそりネットを使ってお小遣いを稼いで、化粧品やネイル道具を購入。(父親に捨てられたりしたけど)

放課後は毎日化粧品屋さんに通ってパンフレットを持ち帰りコレクションしていました。メイベリン、ブルジョワ、ワトゥサ、化粧惑星、AUBE…。

田中美保ちゃんや鈴木えみちゃんの着けるコスメや服にときめいて切り抜いてはプリクラ帳作りに精を出す日々。

大学進学がほとんどの学校で意味を見出せず、毎日腹痛でいつも4時間目登校。本屋さんをはしごしていつかネイリストになった時誰とでも話せるように全ての雑誌や経営の本を読んでは早く大人になりたいなあ、働きたいなと悔しくて泣いてました。

漫画家になりたかった6年間

自我の目覚めと共にセーラームーンを浴びて、毎月のなかよしとりぼんの発売日が生き甲斐。

小学生に入学した頃からきっと自分は電車に乗って指示されたことをきっちりやるという働き方はできないだろうなと感じていたので漫画家という職業を知った時雷に打たれたような気分でした。

締め切りさえ間に合えば、夜中に集中しても怒られないなんて最高すぎる(むしろ褒められる!)

女の子の絵はきっと描けるから苦手な家や車を描く資料のためにモデルハウスや車、スーツの男の人など広告をひたすらスクラップ。(今あったらめちゃくちゃ見たい)

りぼんを捨てるときはカラー扉絵はコレクションして、本編は笑顔や泣き顔など表情別に大学ノートに貼って捨ててました。

三つ子の魂100までとは言うけど、幼い頃から変わってなさすぎる。

ちなみに当時のなかよしやりぼんは今コレクションしてるのでいつかまた見に遊びに来てください!

作りたいものと、届けたい世界

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