子供が育つという事は自分の親が老いる事

どんだけ妊娠出産恐れるねん!!!!

 

と言われそうですが、自分でも書いて見て不安な心が物心ついた頃からどんどんこんなに大きく凝り固まってたんだな…と思います。

 

経験してみないと何とも言えないけれど、できる事なら人生で感じる痛みは1つでも減らしたい。

でもそれから逃げたら子供を産めない!!

 

 

もう1つ、妊娠がわかった瞬間に怖くなったことがあります。

 

それは自分の両親が、親ではなく「祖父母ステージ」に行ってしまうということ。

 

私は生まれた時から祖父母、両親、弟と6人で同居していて特に祖父にはすごく可愛がられていました。

 

毎日公園で遊び、お風呂に入り、一緒にはぐれ刑事純情派や暴れん坊将軍を見て、抱っこされて眠る。

 

厳しい躾の中で育てられた私にとって、祖父は本当に無条件でいつも笑顔で抱きしめてくれるあたたかい存在でした。

(5歳位の頃家族には内緒でこっそり買ってくれたファンタグレープの味、今でも忘れられない)

 

 

そんな祖父も私が小学生高学年になる頃から認知症が入り始め、やがて1人では歩けない、トイレもお風呂も無理、私含む家族が誰かも分からない状態になりました。

介護レベル5になっても母が自宅介護をしていて、途中で胃瘻したり施設に少しお世話になったり(この介護の時期は家族が一番大変な時期で、1つ掛け違えたら家族崩壊寸前まで何度も行ったと思う)

最後はチューブが何本も通り口も開いたままで目はずっと天井。これって生きてるって言えるんだろうか…。それでも手を握るとあたたかく握り返してくれるけど先に私たちの方が限界を迎えてしまうかもしれない。

 

 

15年以上介護を見続けて、優しかった祖父が祖父でなくなっていく姿を見ていました。

子育てと違って終わりが見えない、お母さんはいつまでこんな大変な思いを…でも終わりが来るというのは「おじいちゃんが死ぬ」ということ。

自分は何てことを考えてしまったんだろう…と自己嫌悪に陥る毎日でした。

 

 

やがて祖父が亡くなりほどなくして祖母が認知症になり、祖父とは違う怒鳴りつけられたり手に負えないタイプだったのでこの時期も中々大変ではあったのですが。

 

 

 

自分が妊娠してつわりで寝込んでいる時、あぁわたしが母になるということは自分の両親が祖父母のように老いていく姿を見ることになってしまったんだと落ち込みました。

 

 

私の中のお父さん、お母さん。

 

幼稚園のお遊戯会見にきてくれたり、パパさんリレーで走ってたり、肩車してくれたお父さん。

 

七五三の時私にリップブラシで口紅差してくれて、自転車の後ろにいつも乗せてくれてたお母さん。

 

 

思い出してる記憶が幼いのは、おじいちゃんおばあちゃんに自分が可愛がられてる時の世代の両親を思い出してたからだと思う。

 

 

 

 

私にとってのおじいちゃんは、お腹の中にいるこの子からすると私の父なのか…。

 

この子からしたら私と両親の思い出なんて知らなくて、おじいちゃんは元からおじいちゃんっていう生き物なんだろうな。

 

 

この事実に私はひどく落ち込みました。

前回書いた記事のように、この気持ちも多分周りの人や両親にはあまり理解されない気がして更に落ち込みました。

 

 

ただ自分の気持ちを少し軽くしてくれたのは、両親が妊娠をとっても喜んでたのは勿論なのですが、自分たちを「じいじ」「ばあば」と言い出したこと。

 

時代なんですかね?最近周りの両親世代は結構じいじ、ばあばと言ってるような…。

 

 

私は昔おじいちゃん、おばあちゃんにはそう呼んで言葉遣いをきちんとしなさいと言われていたのでかなりびっくり…。

 

そう言ってた堅物の父でさえもが自分をじいじと言ってるのには目玉がぽーんと飛び出しそうなほど不思議な感覚でした。

 

 

この人たちはおじいちゃん、おばあちゃんになりたがってるのか。

 

それもそうか、「待望の初孫」とかよく言うもんな。

 

よく考えたら私が子供産もうが独身だろうが私も親も一年に1つずつ歳を重ねていくんだよな…。

 

 

だとしたら早くに子供産んで両親に少しでも早くこの子と会わせて、1日でも長く元気に遊んでもらうのも良かったのかもしれないな、なんて感じました。

 

子供が産まれて大きくなることと、両親が老いていくことが同義な事を自分の中で昇華するのに少し時間がかかりました。

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