命が宿ったのに死を覚悟した日。
妊娠出産、というものがずっと恐ろしかった。
アクセサリーを作って販売しているのに今まで一度もピアスを開けたことがないのは痛みに極端に弱いからだ。
いつかは出産するんだろうな、子供産むんだろうなと思っていたけど25を超えても何だか小学生の時に思っていたいつかという感覚のままだった。
もう1つ、出産に恐れを持っていたのは仕事が大好きだったから。
中学生の頃からなりたい職業が決まっていた私は何年反対されようと、親にどれだけ怒鳴られ殴られようと気持ちを変えることはなかった。
進路を認めてもらってからは、友達との旅行より練習や仕事を何より優先。
手を怪我したくないのでスノーボードなどは絶対に行かなかった。
別に楽しみを犠牲にしていたわけではない。
世間一般の楽しいことより私は仕事が楽しかったのだ。
仕事を絶対休まないため、クオリティを保つため健康マニアだったし、
(実際仕事を体調不良で休むどころかインフルも熱を出したこともないのだ!)
仕事が終わってからも朝まで仕事場で仕事していたり、スキルを上げるため別のスクールに通ったりしていた。
そうやって幼い頃から大切に大切に積み上げてきたものが出産で全て失うような気がしてずっと怖かったのだ。
夫はお固い仕事で、私のように好きなことが仕事というタイプではなく典型的な「精神的苦痛と労働時間の対価として報酬を得ることが仕事」というタイプ。
家事も私より得意だし、福利厚生もしっかりした仕事だし(フリーの私と違い産休育休も取れるし手当もある)、母性の塊のような彼が子供を産んでくれたらいいのにと真剣に何千回と願っていた。
だけど2010年代、その願いは叶えられず子供が欲しいなら女の私が産むしかない。
夫との子供を育ててみたいと思う一方で、あの痛みからはどうしても逃れられないのか、20年責任持って子供を大きくしてやれるのか、こんな日本に産んでいいんだろうかとずっと葛藤していた。
何で私はこんなに怖がりなんだろう。
皆どうして平気なんだろうと夫の前で泣いたこともある。
結婚してからお客様と対面するネイリストとしての仕事はセーブし、自宅でできるアクセサリー作りの仕事を増やして行った。
アクセサリー作りなら出産直前でも自分のペースに合わせて仕事出来るだろうし、仮に夫の転勤で今あるサロンを閉めなくてはならなくなったとしてもすぐに無収入にはならないと思ったからだ。
アクセサリー作りは、始めてすぐに軌道に乗って毎日寝る暇がないほど沢山の方にオーダーをいただいた。
アクセサリー作りを始めて2年目、いかにもハンドメイドではなく手にした人がブランドの様に感じられるようにアクセサリーを入れるボックスを作るため東京まで行き一人で交渉し商談をまとめた。
そのボックスがこちら。
安っぽくならないようしっかりとした厚紙で、クリックポストで送れるように厚みは3cmにしてある。
最低ロットが1サイズ300個から。
イヤリング、ピアス用の中サイズとバングルなどを入れる大サイズが必要なので600個。
全て私一人で製作するので600個という数は中々すぐはける数ではない。
けど、制作を続ければ不可能な数字ではなかった。
こだわって600個のボックスやらオリジナルのジュエリーボックスを作ったら10万近い金額に。
その分沢山また作って販売しよう!とまた2ヶ月後東京に行き沢山の美しい石などを仕入れして、
今日東京から兵庫に戻ればアクセサリーを入れるボックスが納品される!
お客様に可愛い箱でアクセサリーをお届けできる!と東京のホテルで目覚めた朝、起きて3秒後目の前がぐにゃりと歪み体の中から何かがせり上がってきたと思うと吐き続けて立てなくなってしまった。
すぐに妊娠してる、と分かったのは普段健康マニアでお酒も飲まない私が吐くなんてありえないからだ。
チェックアウトしたホテルから東京駅まで歩いて5分の距離に1時間半かかった。
帰りのチケットを準備していたのに、探す気力が出ず新たに指定席のチケットを買うも3時間の新幹線ではトイレから全く出られなかった。
自分の体に何が起きてるのか分からず、吐いては下し、吐いては下しが新幹線に乗っている3時間ずっと続く。
何も食べれてないのに一体何が出てきてたん、だろう。胃がひくつくのが分かる。
仕事が出来なくなるのが嫌でお酒を全く飲まないので吐くのに慣れていないのだ。
目的の駅で降りてそこから自宅まで帰るのは不可能じゃないか。
見知らぬ土地で新幹線が止まり救急車で運ばれるかもしれない。
新幹線のトイレの中でお客様に泣きながら電話した。
サロンワークを自分の都合で休むのはこれが初めてだった。
顔面蒼白、ビニール袋片手にようやく自宅に戻るとアクセサリーボックスを入れた大量の段ボールが玄関に詰まれていた。
あんなに悩んで決めた楽しみにしていた美しい色だったのに、ずっと吐き続けて段ボールを開封することすらままならず落ち着いてちゃんと見れたのは三ヶ月経ってからだった。
アクセサリー作りは当面ストップ。
すでに入っていたネイルの予約も全てキャンセル。
いつ体調が戻るか、普通に人と会話して仕事が出来るかなんて全く見当もつかなくなってしまった。
自分で自分の体をコントロール出来ないというのは初めてで、
まだぺたんこのお腹に新しい命が宿ったのに私は初めて死ぬかもしれないと感じた日になった。
来月のカード支払い、アクセサリーボックスにスワロフスキーの石の仕入れに東京出張の交通費滞在費、サラリーマンの夏のボーナスくらいの請求くるけど…
そもそも私いつまで無収入なんだ…?
いつ体調戻るの?
出産までずっと吐くの?安定期ってどういう状態?働ける?
出産して体調戻らなかったら、子供がもしも健康じゃなかったら
これからどうなっていくんだろう
もう仕事できないんだろうか…
親の運転する車に乗せられ産婦人科に着いてエコーを撮ると黒い小さな丸が映っていて、先生は「可愛いでしょう」と言ってくださったけど、私は大泣きしながら「怖いです…」としか言えなかった。
きっと夫が私なら「すごい、可愛い」と感動しただろうになぜ私が女なんだろう…。
こんな私が母になって大丈夫なんだろうか。
不安で覆われた妊娠生活が始まった春の日でした。
(長くなったので続きます)